通勤中のけんかによる被災
こんにちは。大野事務所の岩澤です。
アルベルト・アインシュタインは、「常識とは18歳までに作られた偏見のコレクションである」と述べました。この言葉は、私たちが幼少期から青年期にかけて形成される価値観や信念が、しばしば偏見や固定観念に基づいていることを示唆しています。私たちが「常識」として受け入れているものが、実は個人的な経験や教育、文化的背景によって影響されているのです。
けんかなどのトラブルが起こっている際は、往々にしてこの言葉がよくあてはまります。自分では正義だと思っていることが、相手にとっては迷惑行為であり、客観的にみても、自分の行動の方が不適切であるようなこともあり得ます。
前回のコラムで予告した通り、今回は、通勤中に第三者とのトラブルが発生している裁決をご紹介いたします。この裁決では、請求人は通勤中に自らの正義感に基づいて行動したのだと想像できますが、その結果は請求人の予想に反するものだと言えます。
平成27年労第364号
≪事案の概要≫
請求人は、平成○年○月○日にA所在のB会社に雇用され、同社のC店(以下「事業場」という。)において 、調理業務に従事していた 。請求人によれば 、平成○年○月○日、通勤のため、事業場に向かって歩道を歩いていたとき、同じ歩道を原動機付き自転車に乗り走行してきた男性(以下「第二当事者」という。)に注意したところ、逆上され、暴行を受けたという(以下「本件暴行」という。)。請求人は、同日、D病院に受診し、同月○日、E病院に転医し、「 右手打撲症 」(以下「本件傷病」という。)と診断された。請求人は、本件傷病は通勤上の事由によるものであるとして、監督署長に休業給付を請求したところ、監督署長は、本件傷病は通勤上の事由によるものとは認められないとして、これを支給しない旨の処分をした。請求人は、この処分を不服として、労働者災害補償保険審査官( 以下「審査官」という。)に審査請求をしたが、審査官は、平成○年○月○日付けでこれを棄却したので、請求人は、更にこの決定を不服として、本件再審査請求に及んだ。 |
◆争点◆
今回の争点は、本件傷病が通勤上の事由によるものであると認められるか否かです。つまり、今回の被災に「通勤遂行性」と「通勤起因性」が認められるかどうかがポイントとなります。通勤中、歩道を原付で走っている男性に注意をして暴行を受けた場合、労災として認められそうですが、そうならなかった本件事案について、少々疑問を感じてしまいます。何が原因だったのか、審査会の考察を見ていきましょう。
◆審査会の判断◆
審査会は、「通勤起因性」が認められるかどうかに焦点を絞って検討していきます。審査会は労働基準監督署の聴取内容を並べ事案を整理しました。
【請求人の聴取内容】
請求人は、労働基準監督署の聴取において、次のように述べています。
1.請求人が出勤途中、歩道を歩いていたところ、第二当事者の運転する原付バイクが正面から歩道を走ってきて、請求人の すぐ近くにバイクを止めた。第二当事者とは面識はない。
2.「危ないじゃないか」、「エンジンを切って押してこい」などと注意したが、第二当事者は「てめえには関係ねえ」、 「俺はここに止めるから」などと反論した。
3.第二当事者が肩からぶつかってきて、そのまま店内に入ったため、警察に通報した。
4.第二当事者が店から出てきた際、「110番したから待っとけ」と言ったが、第二当事者がバイクに乗って行こうと したため、バイクのキーを抜いた。これに怒った第二当事者がいきなり殴りかかり、左拳で右顔面を殴られ、引きずり 倒され、馬乗りにされて顔面を殴られた。両手で顔をかばいながら相手の腹を蹴って抵抗した。 |
【第二当事者の聴取内容】
一方、第二当事者は労働基準監督署の聴取において、次のように述べています。
2.請求人がバイクをいじろうとしたため、「やめてください」と言って近づいた。請求人に投げ飛ばされ、顔を殴られた。 たいした怪我はしない程度にやり返した。 |
以上のように、請求人および第二当事者の主張には一部食い違いが見られるものの、両者の言い分を踏まえた上で、審査会は次のように判断しています。
【審査会が導いた結論】
|
以上のことから、監督署が請求人に対して休業給付を支給しない処分は妥当であって、これを取り消す理由はないとし、審査会は今回の審査請求を棄却しました。
◆最後に◆
今回の事案は、通勤中に発生した暴行事件でありながら、通勤災害として認められなかった裁決事例でした。審査会は、暴行の直接的なきっかけが請求人自身の行動、すなわちバイクのキーを抜いた挑発的行為にあった点に着目し、通勤そのものに内在する危険が具現化したものとは言えないと判断しました。この裁決から読み取れるのは、たとえ通勤経路上で起きた出来事であっても、その原因が私的なトラブルや挑発行為である場合には、「通勤起因性」が否定され、労災として認められない可能性があるということです。アインシュタインの言葉にもあるように、私たちが「正しい」と信じる行動が、他者にとっては挑発や攻撃と受け取られることがあります。日常の中で「正義感」に基づく行動を取る際には、その影響や結果を冷静に見極める慎重さが求められることを、改めて考えさせられる裁決でした。
執筆者 岩澤

岩澤 健 特定社会保険労務士
第1事業部 グループリーダー
社労士とは全く関係のない職を転々としておりましたが、最後に務めた会社が大野事務所の顧問先というご縁で入所することになりました。それからは、何もわからないまま全力で目の前の仕事に励んできました。
入所してから十数年、現在では「無理せず、楽しく、元気よく」をモットーに日々の業務と向き合っています。
数年前から、子供と一緒に始めた空手にドはまりしており、50歳までに黒帯になるという野望があります。
押忍!!
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