「持株会奨励金は賃金か?」
■ はじめに 〜箸休め的な一題〜
今回は少し趣向を変えた「箸休め」的なコラムです。
ふだん私は、社会保険審査会・労働保険審査会の裁決例を題材にしたコラムを中心に執筆していますが、今回はあえて裁決例ではなく、実務の現場で相談を受けた「小さな疑問」を取り上げてみたいと思います。
きっかけは、あるメンバーからの一言──
「持株会奨励金は割増賃金の算定の基礎に含めなくていいんですよね?」
私自身、当然含まれないだろうと思ったのですが、いざ「なぜそうなのか」を根拠をもって説明しようとすると、明確な通達や法的根拠にたどり着きにくいことに気づかされました。「これは意外と見落とされがちな論点ではないか」と思い、労働基準法をはじめ、労働保険、社会保険における持株会奨励金の取扱いについて整理してみることにしました。
■ 従業員持株制度の導入状況と背景
持株会奨励金とは、従業員が給与からの拠出で自社株を購入する「従業員持株会制度」に加入した際に、企業がその拠出額に対して一定の割合(たとえば10~20%)を上乗せして支給する金銭的インセンティブをいいます。これは福利厚生や従業員の資産形成支援を目的としたものであり、従業員の制度加入を促進するために設けられています。従業員の資産形成支援やエンゲージメント向上を目的として、近年この制度を導入する企業は増加傾向にあります。東京証券取引所の2024年公表データによれば、上場企業3,932社のうち3,273社(約83%)が従業員持株制度を導入しています。このような制度の普及に伴い、奨励金の「賃金」該当性が実務で確認すべきテーマの一つとして意識される場面もあります。
■ 労働基準法における「持株会奨励金」
労働基準法第11条では、「賃金」とは、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのものと定義されています。また、時間外・休日・深夜労働に対する割増賃金については、同法第37条により、「通常の労働時間または所定労働時間に対する賃金(基礎賃金)」に割増率を乗じて支払うことが義務づけられています。この「基礎賃金」に含めるべき賃金の範囲については、労働基準法施行規則第21条において、割増賃金の算定基礎から除外できる賃金が限定列挙されています。具体的には、通勤手当、家族手当、別居手当、子女教育手当、住宅手当、臨時に支払われた賃金、1か月を超える期間ごとに支払われる賃金の計7項目です。
重要な点として、この中に「持株会奨励金」は含まれていません。
しかし、労働基準法の運用においては、厚生福利施設の提供やこれに準ずる給付については、「賃金」には該当しないという考え方が、昭和22年9月13日基発第17号によって早い段階から確立されています。これらの給付は労働の対償性を欠くものとされ、結果として割増賃金の算定基礎に含める必要はないという整理がされています。持株会奨励金については、これを明示的に福利厚生給付として位置づけた通達は現時点で存在していませんが、労働基準法コンメンタール等では、類似の制度である「財形貯蓄奨励金」が福利厚生制度の一環とされ、賃金に該当しないものとして扱われています。
実際に私が労働局に確認を行ったところ、「持株会奨励金が賃金に該当しないことを示す明示的な通達はないが、財形貯蓄奨励金と同様の性質を有する場合には割増賃金の算定基礎に含めないことが妥当である」との見解が示されました。
もっとも留意すべきは、支給の目的が福利厚生であっても、制度加入の有無に関係なく支給されるような給付は「賃金」とみなされることがある点です。たとえば、住宅資金の積立てを奨励し助成する目的で設けられた住宅助成金が、積立制度への加入の有無にかかわらず一律に支給されていた事例では、生活補助費の性質を有する給与として賃金に該当すると判断された裁判例(日本ソフトウェア事件・東京地裁昭和48年9月26日判決)があります。
以上の点を総合的に踏まえると、持株会奨励金については、労働の対償性を欠く福利厚生目的の給付として支給され、勤務状況や業績評価に連動せず、加入者に対してのみ支給されている場合には、「労基法上の賃金そのものに該当しない」と評価される可能性が高いと考えられます。これは、類似の財形奨励金が「賃金性を否定された福利厚生給付」と整理されている点とも整合的です。すなわち、持株会奨励金は、労働基準法上の賃金にはそもそも該当しないとするのが実務的な整理であり、したがって割増賃金の算定基礎からも当然に除外されるという構造です。
ただし、制度設計や運用の実態により、逆の判断となる可能性もあるため、個別の確認と慎重な検討が求められます。
■ 労働保険(雇用保険・労災保険)における持株会奨励金
厚生労働省の「年度更新の手引き」には、「賃金に該当しないもの」として「持株会奨励金」が例示されています。これは、奨励金が労働の対償ではなく福利厚生給付であるという実務上の整理を示しており、労働基準法における「賃金」該当性の判断にも一定の参考情報を提供するものと考えられます。この記載に基づき、実務上は、持株会奨励金を年度更新申告書における「賃金総額」から除外する取り扱いが行われています。したがって、これを誤って含めてしまうと、労働保険料の過大算定につながる恐れがあるため、正確な区分と記載が求められます。
■ 社会保険(健康保険・厚生年金)における持株会奨励金
社会保険においても、「報酬」とは「労務の対償として受けるすべてのもの」と定義されています(健康保険法第3条第5項、厚生年金保険法第3条)。この定義は労働基準法と同様に広範で、支給の名称や形式を問わず、労務の提供と対価性が認められる金銭は原則として「報酬」として扱われます。
この点に関して、実務上の参考となる疑義照会として、財形奨励金に関する以下のような照会・回答例が存在します。
(案件) 報酬及び賞与の範囲(財形奨励金)について
(質問) 財形貯蓄をしている被保険者に対して、毎月、給与と併せて福利厚生費として財形奨励金が支給されている。財形奨励金は給与所得として課税対象であり、賃金台帳に計上し給与明細には財形奨励金と表示されている。この場合、財形奨励金は健康保険法第3条第5項および厚生年金保険法第3条に規定する「報酬」または「賞与」にあたるか。
(回答) 報酬とは、被保険者が事業主から労働の対償として受けるすべてのものであり、支給形態や名称を問わず、経常的・実質的な収入であれば報酬に含む。財形奨励金は、制度的に勤労者の資産形成を目的とした福利厚生制度への補助金であるが、給与規定に基づき経常的に支給されるものであれば、報酬に該当する。
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このように、財形奨励金については、福利厚生を目的とする給付であっても、支給が継続的かつ実質的な収入と認められる場合には「報酬」に該当するという考え方が明確に示されています。この点から、持株会奨励金も同様の支給形態であることを踏まえると、「報酬」に該当するのではないかという見解もあり得ます。
しかしながら、持株会奨励金に関する明確な疑義照会や通達は現時点で存在していません。そこで、複数の年金事務所に対して実際に照会を行ったところ、いずれの年金事務所でも明確な全国統一基準は存在しないとしつつも、内部資料として「持株会が強制加入である場合は報酬、任意加入である場合は報酬に該当しない」とする整理があるとの説明が共通して確認されました。
さらに、ある年金事務所では、次のような見解が示されていました。
「持株奨励金は、株主に対して支給されるものであり、労働の対償とは別である。したがって報酬には該当しない。」
このような見解の背景には、持株会奨励金が「労働者としての地位」ではなく、「株主としての地位」に基づき支給されているという解釈があるのでしょう。つまり、従業員持株会はあくまで従業員の自由意思により加入する任意制度であり、その参加が労務の提供と直結しない以上、支給される奨励金も「労務の対償」としての性質を欠くという整理です。
一方で、制度設計や運用実態によっては異なる評価がなされる余地もあります。たとえば、
- ・持株会が実質的に全員加入を前提とした制度となっている場合
- ・奨励金の金額が個々の勤務実績や評価により増減する設計となっている場合
などには、労務の提供との関連性が強まり、「報酬」と判断される可能性も排除できません。
したがって、持株会奨励金については、制度の目的や運用実態を踏まえ、「対償性があるかどうか」および「自由意思に基づくかどうか」を中心に、報酬該当性を個別に判断すべきであるといえます。
■ 最後に
持株会奨励金は、従業員の資産形成支援という観点から非常に有意義な制度です。しかし、その設計次第では「賃金」とみなされ、割増賃金の基礎や社会保険料の計算に影響を及ぼすリスクもあります。「労働の対償性がない」ことを明確にし、制度や文書の整備を通じて誤解や誤算定のリスクを防ぐことが、実務上の重要なポイントだと考えます。
執筆者 岩澤

岩澤 健 特定社会保険労務士
第1事業部 グループリーダー
社労士とは全く関係のない職を転々としておりましたが、最後に務めた会社が大野事務所の顧問先というご縁で入所することになりました。それからは、何もわからないまま全力で目の前の仕事に励んできました。
入所してから十数年、現在では「無理せず、楽しく、元気よく」をモットーに日々の業務と向き合っています。
数年前から、子供と一緒に始めた空手にドはまりしており、50歳までに黒帯になるという野望があります。
押忍!!
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