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業務上の疾病

~深夜業務と過密スケジュールがもたらした突然死~

 

■はじめに

前回のコラムでは、「業務上の疾病」というテーマの重要性に触れました。労災には、「業務上の負傷」と「業務上の疾病」という二つの柱があります。

  • ・業務上の負傷:転倒や機械事故など、原因と結果が明確に対応するケガ
  • ・業務上の疾病:長期間の勤務負荷や精神的ストレス、化学物質曝露など、発症までの経過が複雑で、業務外要因とも交錯しやすい疾病

この「業務上の疾病」は、発症の瞬間が不明確であり、医学的要因や生活習慣が影響するため、業務起因性の判断が極めて難しい領域です。実際、労働保険審査会で争われる裁決例の多くは、この「疾病」に関するものです。今回はその中から、販売部門の管理職が出張先で心疾患を発症し死亡した事案を取り上げます。労災の認定基準に直接的に照らし合わせると「業務外の病死」と認められるケースでしたが、詳細な勤務実態の分析により、審査会は業務起因性を認定しました。

 

平成29年労第195号

 

■事案の概要

被災者は、大手販売会社の部長としてテレビショッピング番組の出演、営業企画、商談などを統括していました。全国への出張が多く、特にD市での業務が集中していました。死亡当時、被災者はD市へ出張中で、宿泊先マンションで死亡しているのを同僚が発見。死因は「虚血性心不全(冠状動脈硬化症)」であり、医師の検案書にも「病死及び自然死」と記載されていました。被災者の遺族は、労災保険法に基づく遺族補償給付および葬祭料を申請しましたが、労働基準監督署長は「業務との因果関係が認められない」として不支給処分を行い、これに対する不服申立てにおいても、労働者災害補償保険審査官は同様の理由で棄却決定を下しました。

しかし、勤務記録や出張旅費伝票、航空機搭乗記録を詳細に確認したところ、次のような実態が浮かび上がりました。

 ・発症前1週間、早朝から深夜まで連続勤務

  •  ・深夜・早朝のテレビ出演準備および生放送対応
  •  ・休日とされていた日も長距離移動や打合せで実質的に休養なし
  •  ・発症直前には24時間以上まとまった睡眠が取れない状況
  •  ・A市→H市→D市といった「乗り継ぎ型出張」が頻繁
  •  ・生放送出演や商談など、強い精神的緊張を伴う業務が連続

このように、実態としては極めて不規則で過重な勤務が継続していたことが明らかになりました。

 

■審査会の判断

労働保険審査会は、厚生労働省が定める「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準」(平成131212日 基発第1063号)を適用し、業務起因性の有無を検討しました。

 

[認定基準の考え方]

この基準は、脳出血や心筋梗塞、心不全などが、業務による過重負荷により自然経過を超えて発症した場合に、労災と認めるための指針です。判断は次の三類型で行われます。

 1.長期間の過重業務

  1.   発症前1か月におおむね100時間、または発症前26か月平均で月80時間超の時間外労働がある場合
  2.  2.短期間の過重業務
      発症直前数日〜数週間の繁忙、深夜業務、連続勤務などにより急激な疲労が蓄積した場合。

 3.異常な出来事
  事故、トラブル、災害対応など、時間・場所が特定される強いストレスを受けた場合

さらに、この基準では「労働時間以外の負荷要因」を総合的に考慮します。深夜勤務、不規則勤務、出張拘束、精神的緊張、休息不足などが複合的に作用すれば、時間外労働が基準値未満でも業務上と認められることがあるのです。

 

[本件への当てはめ]

審査会は、被災者の発症前1か月の時間外労働は約87時間であり、また発症前2〜6か月平均も72時間であり、どちらも基準に満たないことを認めつつも、次の要素を総合評価しました。

 ・深夜から早朝にかけての勤務が連続

  •  ・24時間以上に及ぶ睡眠不足
  •  ・出張移動による長時間拘束
  •  ・生放送出演など精神的緊張を伴う業務が集中

審査会は、これらが自然経過を超える過重な負荷であり、心疾患発症に密接に関係したと判断。「被災者は発症に近接した時期に過重な業務に従事しており、その勤務は尋常でなく、心身に相当な負荷を与えた結果、発症および死亡に至ったものと認められる。」として、労働基準監督署長および審査官の不支給処分を取り消しました。

 

「業務上の疾病」が難しい理由

この裁決が示すように、「業務上の疾病」の認定は単なる「時間数の計算」ではなく、「勤務の質」「生活リズム」「精神的緊張」「休息の欠如」といった要素を立体的に見る必要があります。「業務上の負傷」が瞬間的な出来事と結果で因果関係を把握できるのに対し、「業務上の疾病」は、長期的な蓄積と個人差が入り混じるため、どこまでが業務による影響かを判断するのは容易ではありません。本件は、そうした複雑な事案の中で、時間外労働が基準未満でも業務起因性を認めた点で、業務上疾病判断の柔軟なあり方を示したものといえます。

 

企業が学ぶべきポイント

  1.  1.「時間数」だけで労務リスクを評価しない
        移動・拘束・深夜勤務・精神的緊張などを含めて「負荷の総量」を把握。
  2.  2・健康状態を「複数の物差し」で見守る仕組みづくり
        一つのデータや仕組みだけに頼らず、いくつもの「物差し」を重ねて社員の健康状態を把握する。
  3.    「勤怠 × 健康診断 × ストレスチェック × 産業医面談 × 上長の気づき」を組み合わせて、早めに異常のサインを拾い上げる体制をつくる。
  4.  3.管理職層への配慮強化
        自律的に働く層ほどリスクが表面化しにくく、見えない過労が蓄積しやすい。

     

    ■まとめ

    この裁決は、「自然死」と見られがちな心疾患の背後に潜む業務負荷の実態を掘り下げ、勤務の不規則性・緊張度・休息の欠如を重視して業務上と認めた点に大きな意義があります。「業務上の負傷」は見える労災、「業務上の疾病」は見えない労災。この見えない負荷をいかに早く把握し、対策を講じるかが、これからの安全衛生と人的資本経営の核心です。次回は、同じ「業務上疾病」でも判断がさらに難しい、精神障害(メンタルヘルス)関連の裁決事例を取り上げ、心理的負荷の強度と業務起因性の判断プロセスを解説します。

     

    執筆者 岩澤

    岩澤 健

    岩澤 健 特定社会保険労務士

    第1事業部 グループリーダー

    社労士とは全く関係のない職を転々としておりましたが、最後に務めた会社が大野事務所の顧問先というご縁で入所することになりました。それからは、何もわからないまま全力で目の前の仕事に励んできました。
    入所してから十数年、現在では「無理せず、楽しく、元気よく」をモットーに日々の業務と向き合っています。

    数年前から、子供と一緒に始めた空手にドはまりしており、50歳までに黒帯になるという野望があります。
    押忍!!

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