労災裁決例から読む~出来事は単体で評価されていない~
■はじめに
前回のコラムでは、上司の叱責に着目し、「指導」と「パワハラ」の境界線を出来事そのものから整理しました。もっとも、裁決例全体を見渡すと、出来事単体で評価が決まるケースはむしろ例外的であり、多くの場合は他の要素との組み合わせの中で評価されています。本稿では、この点を整理していきます。
前々回のコラムとのつながり
この点については、実は前々回のコラムでも、結果的に触れていました。新年のご挨拶とともに、精神障害と業務上疾病をめぐる裁決 | 社会保険労務士法人大野事務所 前々回は「発病時期」の認定に焦点を当て、どの時点を発病と評価するかによって、結論が大きく分かれる構造を確認しました。その中で、長時間労働や業務上の出来事が、「発病前の出来事」として評価対象に入るかどうかが重要な分岐点となっていましたが、当時のコラムでは、その点そのものに焦点を当てていたわけではありませんでした。しかし、改めて裁決例を丁寧に見直してみると、発病時期の問題とは別に、「長時間労働が認められていること」により、本来「中」にとどまる出来事の評価が引き上げられているという構造が、多くの事案に共通して見られることを確認できました。個別の出来事の評価だけを見ていると見落としがちですが、複数の裁決例を横断的に見ると、この点は一貫した傾向として現れています。
厚生労働省の認定基準における位置づけ
こうした評価のあり方は、裁決例にとどまらず、厚生労働省の認定基準においても明確に示されています。同基準では、長時間労働は「極度の長時間労働」、「恒常的長時間労働」といった形で、心理的負荷を評価する上での重要な出来事として位置づけられています。やはり実務上、評価を左右する重要な要素となっているといえます。では、この評価構造は、実際の裁決例の中でどのように現れているのでしょうか。以下では、長時間労働と出来事の評価がどのように組み合わされ、最終的な「強」の認定につながっているのかという点に着目しながら、具体的な裁決例を見ていきます。
裁決例①(ノルマ未達と長時間労働)平成26年労第56号
本件は、工事の遅延対応に従事していた労働者について、工程の遅れに伴い、発注者からの対応や社内調整に追われる中で精神障害を発病したとされた事案です。具体的には、「工期遅れにより発注者から強い対応を求められていた」、「営業補償の問題が発生し、精神的負担が増大していた」といった事情が認められています。しかしこれらの評価は「中」にとどまるとされました。一方で、発病前に月100時間を超える時間外労働が継続していたことから、 「中」+長時間労働 → 「強」と評価され、業務起因性が肯定されています。
裁決例②(ノルマ・叱責・長時間労働の重なり)平成26年労第132号
本件は、営業職として業務に従事していた労働者が、業績目標の達成プレッシャーや上司からの叱責の中で精神障害を発病したとされた事案です。具体的には、「達成困難なノルマが課されていた」、「上司から厳しい叱責を受けていた」、「評価が業績に直結する環境にあったといった事情が認められています。もっとも、ノルマ・叱責では「中」と評価されています。それでも、「月100時間超の時間外労働」、「2週間以上の連続勤務」といった事情を踏まえ、総合評価は「強」とされています。
裁決例③(役職変化+恒常的長時間労働)平成28年労第373号
本件は、介護事業所に勤務していた労働者が、所長に就任した後、長時間労働を含む過重な業務負担の中でうつ病を発病し、自殺に至ったとされた事案です。まず、出来事として問題となったのは、所長への昇格、現場業務に加え、勤怠管理・シフト作成・契約業務などの管理業務の追加といった、仕事内容の大きな変化です。この点について審査会は、「仕事内容・仕事量の(大きな)変化」に該当するとしつつも、心理的負荷の評価は「中」にとどまると判断しています。一方で、労働時間については、所長就任後、月100時間前後の時間外労働が複数月継続13日~14日の連続勤務も認められるといった状況が確認されています。さらに、「経験の浅い状態で所長に就任」、「直後に複数の職員が退職」、「人員不足を補うため現場業務と管理業務を兼務」といった事情から、自ら長時間労働を行わざるを得ない状況にあったと評価されています。これらを踏まえ審査会は仕事内容の変化(評価「中」)に加え恒常的な長時間労働が認められることから、総合評価を「強」と判断し、業務起因性を肯定しています。
時間外労働の評価のされ方
ここまで見てきた裁決例からは、時間外労働について、形式的な記録ではなく、実態に即して評価されているという共通した傾向が読み取れます。例えば、平成26年労第223号では、タイムカードは出勤時のみ打刻され、退勤時の記録が存在しないほか、サービス残業が常態化していた状況が認められています。このような場合、会社の記録を前提とするのではなく、同僚の申述やアンケート等をもとに補正する形で労働時間が認定されています。また、昼休憩についても、形式上は1時間とされていたものの、実態は30分程度と評価されており、休憩時間についても実態ベースで再評価が行われています。さらに、業務との関連性を踏まえて労働時間が判断される場面も見られます。同じく平成26年労第223号では、CT研修とその移動時間について、形式的には自己研鑽の側面があっても、業務との関連性が強い場合には労働時間に含めるとされています。このように、裁決例においては一貫して「名目」ではなく「実態」に基づいて労働時間が把握されています。もっとも、この点は労働法実務においても基本的な考え方であり、特段新しいものではありません。裁決例においても、その原則がそのまま確認されているものといえます。
おわりに
以上のように裁決例を見ていくと、心理的負荷の評価は、出来事を個別に切り出して判断されているわけではなく、長時間労働や継続性といった要素とあわせて、総合的に位置づけられていることが分かります。労災認定の実務では、出来事ごとの評価が出発点となるものの、それだけで結論が決まるわけではありません。どのような労働環境の中でその出来事が生じていたのかが、最終的な評価を大きく左右します。したがって、精神障害の労災認定を読み解くうえでは、「どのような出来事があったか」にとどまらず、それがどのような状況の中で生じ、どのように重なっているのかという視点で捉えることが重要といえるでしょう。
執筆者 岩澤
岩澤 健 特定社会保険労務士
第1事業部 グループリーダー
社労士とは全く関係のない職を転々としておりましたが、最後に務めた会社が大野事務所の顧問先というご縁で入所することになりました。それからは、何もわからないまま全力で目の前の仕事に励んできました。
入所してから十数年、現在では「無理せず、楽しく、元気よく」をモットーに日々の業務と向き合っています。
数年前から、子供と一緒に始めた空手にドはまりしており、50歳までに黒帯になるという野望があります。
押忍!!
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