代表取締役が私傷病により無報酬となった場合の被保険者資格
こんにちは。大野事務所の岩澤です。
今回も、社会保険審査会の裁決集のご紹介です。
代表取締役が、私傷病により労務不能になり、一定期間無報酬となった場合は、社会保険の被保険者資格は継続するのでしょうか?一見すると、労働者の場合と同様、被保険者資格は継続するものと考えてしまいますが、よく考えてみると代表取締役が労務不能、その上無報酬になることは会社にとって非常事態であり、特殊なケースと言えます。今回ご紹介させていただく社会保険審査会の裁決集では、まさにこの点が争点となりました。当初、年金事務所および社会保険審査官は、労務不能で無報酬の期間は資格喪失すべきと判断しています。では、社会保険審査会の判断はどうなるのか?
平成28年(健厚)第648号
平成29年11月30日裁決
≪事案の概要≫
社会保険の適用事業所となっているある会社(以下、本件会社)の代表取締役(以下、請求人)が平成27年11月29日に脳出血を発症して従前と同一の労務に服することが困難になりました。その後、本件会社は平成28年3月1日から平成28年8月31日までの期間の請求人にかかる報酬を0円とし、健康保険の傷病手当金を請求しました。請求人は平成28年9月に復帰しましたが、従前と同一の業務ではないことから、本件会社は請求人の復帰後の報酬を5万円に変更し、それに伴って月額変更届を提出しました。年金事務所は平成28年3月1日から平成28年8月31日までの期間に疑義があるとして、月額変更届を返戻して、当該期間の資格喪失手続きを促し、当該期間の開始日を喪失日とする資格喪失届を提出させ、当該期間が終了した日の翌日を取得日とする資格取得届を提出させました。(平成28年3月1日喪失、平成28年9月1日取得)
請求人は原処分を不服として社会保険審査官に対する審査請求を経て、当審査会に対し、再審査請求をしました。
※(お断り)実際の裁決集では「年」記載は空欄です。読みやすくするため仮の年を挿入しています。
≪争点と照らし合わせる関係法令等≫
この事案の争点は平成28年3月1日から平成28年8月31日までの期間、請求人が本件会社に使用され、被保険者資格を有していたか否かです。これを判断するにあたり照らし合わせる関係法令・行政解釈、それから判断材料となり得るその他の事実は以下の通りとなります。
~照らし合わせる関係法令~
健康保険法第3条第1項(以下、厚生年金保険法は省略)
この法律において「被保険者」とは、適用事業所に使用される者……をいう。
健康保険法第35条
被保険者……は、適用事業所に使用されるに至った日……から、被保険者の資格を取得する。
健康保険法第36条
被保険者は……その事業所に使用されなくなった……日の翌日から被保険者の資格を喪失する。
~行政解釈~
昭和24年7月28日保発第74号(昭和24年通知)
「法人の代表者又は業務執行者の被保険者資格について」
法人の役員の取扱いについては、法人の理事、監事、取締役、代表社員及び無限責任社員等法人の代表者又は業務執行者であっても、法人から労務の対償として報酬を受けている者は、法人に使用される者として被保険者の資格を取得する。
昭和26年3月9日保文発第619号(昭和26年通知)
「休職と被保険者資格について」※裁決集の内容を一部要約
被保険者が雇用関係は存続のまま賃金の支給を停止されたような場合には、被保険者の長期にわたる休職状態が続き実務に服する見込がない等、実質は使用関係の消滅とみるを相当とする場合においては被保険者資格を喪失させることを妥当とするが、病気休職等の場合は、賃金の支払停止は一時的のものであり使用関係は存続するものとみられるものであるから、事業主及び被保険者はそれぞれ賃金支給停止前の標準報酬に基づく保険料を折半負担し事業主はその納付義務を負うものとして取扱うことが妥当と認められる。
~判断材料となりうるその他の事実~
・請求人についての平成28年4月~6月にかかる算定基礎届は報酬月額0円で提出し、それに対して年金事務所は保険者算定により従前の標準報酬月額で決定していた。
・請求人は療養中も可能な限度で本件会社の運営に関与し、従前と同様に行うことはできなかったが、代表取締役として業務を行っていた。
≪社会保険審査会の事実に基づいた判断≫
社会保険審査会はまず、判断の根幹となるポイントを以下のようにまとめました。
「昭和24年通知および昭和26年通知の趣旨に徹するならば法人の代表者が無報酬であるときは、原則として被保険者の資格を有しないが、病気休職の場合など報酬の支払停止が一時的のものであるときは、法人との使用関係は存続し、被保険者の資格を失うことはないと解するのが相当である。」
つまり、無報酬期間が、病気休職の場合など一時的なものであるか否かが決め手になるとまとめたことになります。そこで、審査会は、今回問題となっている平成28年3月1日から平成28年8月31日までの無報酬期間が病気休職の場合など一時的なものであるかどうかを以下のように検証していきます。
①請求人が平成28年3月1日から平成28年8月31日までの期間において無報酬とされた実質的理由は、請求人が病気療養のため、従前同様の業務を行うことができなくなったことによるものといえる。健康保険の保険者が当該期間について傷病手当金を支給したのも、請求人が病気療養のため労務不能であることを認めたということにほかならない。
→無報酬期間は病気療養の期間である。
②請求人は療養中も可能な限度で本件会社の運営に関与し、従前と同様に行うことはできなかったが、代表取締役として業務を行っていたということは、請求人の病気の程度は、職務復帰がおよそ不可能なものではなかったと言える。
→職務復帰は不可能なものではなく、当該期間は一時的なものと言える。
③年金事務所が、算定基礎届において請求人の報酬月額が0円とされたことを知りつつ、本件会社に対し、従前の標準報酬月額による保険料を納付すべきものとしたのは、請求人の無報酬が病気療養のための一時的なものであるとの認定に基づくものと解される。
→算定基礎届提出において、年金事務所は当該期間を一時的なものと認定していた。
以上のことから、平成28年3月1日から平成28年8月31日までの期間における請求人の無報酬は、病気療養のための一時的なものであり、法人との使用関係は存続すると認めるのが相当であるとし、請求人は、当該期間において被保険者資格を喪失しないというべきであり、年金事務所が被保険者資格を喪失させた処分は著しく不当であるから、取り消しは免れないと、社会保険審査会は結論付けました。
≪私の感想及び考察≫
社会保険審査会の判断の中で「昭和26年通知」が紹介されていますが、この通知は「就業規則等により雇用関係は存続するが会社より賃金の支給を停止されたような場合の休職」について説明しているものであり、「就業規則の適用を前提とした通知」と言えます。就業規則の適用がない代表取締役の使用関係にあたり、「就業規則の適用を前提とした通知」を判断材料としている点が、少しだけ違和感を覚えました。ですが、私の実務的な感覚では、社会保険審査会の判断の方がしっくりきます。
年金事務所および社会保険審査官がなぜ「資格喪失すべき」と判断したのか、その理由について、残念ながら裁決集からは確認することはできませんでした。もしかしたら、「昭和24年通知」だけで判断したのかもしれません。昭和24年通知では「法人の代表者又は業務執行者であっても法人から労務の対償として報酬を受けている者は、法人に使用される者として被保険者の資格を取得する」としているので、単純な反対解釈を用いて「法人の代表者等が報酬を受けていない場合は資格を喪失する」との結論に至ったのかもしれません。
執筆者:岩澤
岩澤 健 特定社会保険労務士
渋谷第1事業部 グループリーダー
社労士とは全く関係のない職を転々としておりましたが、最後に務めた会社が大野事務所の顧問先というご縁で入所することになりました。それからは、何もわからないまま全力で目の前の仕事に励んできました。
入所してから十数年、現在では「無理せず、楽しく、元気よく」をモットーに日々の業務と向き合っています。
数年前から、子供と一緒に始めた空手にドはまりしており、50歳までに黒帯になるという野望があります。
押忍!!
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